松山城三之丸跡19次調査①

投稿者: hajiki in 発掘調査・試掘調査 | コメントを残す

 松山城は、松山平野北部の独立丘陵「勝山」を中心に造られた近世城郭で国指定史跡「松山城跡」であり、勝山の山頂に本丸、裾部に二之丸と三之丸が築かれていました。
スライド2

堀之内を亀の頭、勝山を胴体と脚、東雲神社付近をシッポに見立て別名、金亀城、亀郭城とも呼ばれていました。スライド2

 

 左の絵図は松山城屏風絵であり、今から約300年前の江戸時代前期(元禄期)に描かれたもので、当時の三之丸の建物の様子がよくわかる絵図であります。右の絵図は今から約150年前の幕末に描かれたもので、藩の役所は黄色、それ以外の屋敷は灰色で表現されています。

松山城屏風絵(元禄時代1688~1704年)愛媛県歴史文化博物館所蔵

松山城屏風絵
(元禄時代1688~1704年)
愛媛県歴史文化博物館所蔵

亀郭城秘図(文久4年/1864年)伊予史談会所蔵

亀郭城秘図
(文久4年/1864年)
伊予史談会所蔵

 松山市では堀之内の整備を進めていますが、整備において基礎資料の取得と遺構の保護を目的に、古絵図を参考に平成13年度から確認調査を実施しており、今回の調査は19回目となります。

 松山城三之丸跡19次調査では、三之丸西端を南北方向に延びる馬場の北端(1区)と三之丸御殿東南部(2区)の様相を確認することを目的に只今、調査中であります。

 

 

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