別府遺跡4次調査で出土した木樋のこと

投稿者: sekifu in 発掘調査・試掘調査, 遺跡紹介 | コメントを残す

 「別府遺跡4次調査」で出土した木樋について少し詳しく説明したいと思います。

 木樋は導水のための施設ですが、今回の調査では一部の出土であったため、「何のために」、「どこから取水」して「どこに放水」するのかを解明することはできませんでした。

出土したのは調査範囲の南(みなみ)端(はし)で、北東から南西方向に設置してあり、わずかですが北東側が高くなっていて、南西に向かって流れていたものと推定できます。

木樋は現在の地面から約1m下に埋まっていました。長さ約7.2m分を掘り出しましたが、両端とも調査範囲の外に延びているので、実際はもっと長いものです。

 樋の直径(外径)は20~27cmです。作り方は丸太をかまぼこ状に半分に割って中を刳(く)りぬき、再び上下に合わせ、管(くだ)状にして使用しています。蓋(ふた)にしている上半分のほとんどは、その後に堆積した土の重みで潰(つぶ)れ、完全な形では残っていませんでしたが、南端のごく一部でかろうじて潰れていない部分を見つけることができました。途中2か所で木樋が切れていますが、わき水が多く、掘り出すのがやっとという状況だったので、それがつなぎ目だったのかどうか分かりませんでした。さらに上下の合わせ部分の水(みず)漏(も)れを防ぐための細工(さいく)なども確認することができず、その点が心残りでした。

 愛媛県の発掘調査では今治市の弥生時代の遺跡から1例出土しているのみで、今回は2例目ですが、木樋の中や接する部分から出土する土器などがなかったので、詳しい時期は分かりませんでした。ただ、木樋を覆(おお)っている土の中から鎌倉時代の土器片が出土しているので、だいたいその頃のものではないかと推定しています。

 このように、発掘調査ではなかなか目にすることがない木樋ですが、筆者は今まで愛知県の豊田市で古代の木樋と名古屋市で江戸時代から明治時代にかけての木樋を発掘しています。古代の木樋は池から水田に水を落とすために堤防の中に埋められていたもので、構造は別府遺跡のものとほぼ同じと推定できますが、残りは良好でした。名古屋市の木樋は角材を「コ」の字に刳(く)りぬいて蓋をしたものと4枚の板を貼りあわせたものがありました。貼りあわせ部にはシュロの皮を挟んで水漏れを塞いでいました。そして今回は中世の木樋ということで、それぞれ時代は違いますが、3度も関われるということはなかなかないので、幸運なことだと思っています。

別府遺跡4次調査出土木樋全景(南より)

別府遺跡4次調査出土木樋南端(東より)

愛知県豊田市寺部遺跡出土木樋(南より)

愛知県名古屋市樋の口町遺跡出土木樋(東より)

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