調査地は、松山平野東部を西流する小野川や堀越川によって形成された扇状地上の標高51~52m付近に位置します。周辺の遺跡には、東側に平井遺跡1次~7次調査地があり、弥生時代から中世までの集落関連遺構が数多く見つかっています。調査地内には、高まりのある塚の存在が古くから知られ地元では「鶴塚」と呼ばれています。現況は、耕作地となっており、鶴塚及びその周辺は水田整備や土取り等などによって大きく改変されているようであります。この鶴塚は1985年『愛媛考古学』8号で「畑中の塚」として紹介され、さらに2017年『愛媛考古学』22号の中でも「松山市平井所在の畑中の塚一鶴塚古墳一」として現況に至るまでの経緯や出土遺物などが詳しく報告され、鶴塚が古墳であり、前方後円墳の可能性があることも指摘されています。
事前に実施された試掘調査の結果、「鶴塚」は、推定長42.15m (周溝含む)を測る前方後円墳の後円部にあたることが確認されました。埋葬施設については、形態及び存否についても明らかにできなかった。しかしながら後円部の墳丘盛土が遺存するこから、埋葬施設も残存する可能性も考えられます。
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