常滑焼・渥美焼のこと(その2)

投稿者: sekifu in 出土物整理 | コメントを残す

 前回は常滑焼・渥美焼の特徴や歴史についてお話しましたが、今回は北条河野地区別府遺跡から出土したものについて書きたいと思います。

 出土したのは小さな破片ばかりで20点以上はありますが、焼き物の特徴をとらえて図や写真として皆さんに見ていただけるのは10点に満たないという状態です。

 その中で口縁(口の部分)の破片は5点です。全て前回に掲載した写真の大甕と同じで、外に大きく反って、先端は丸く、そのすぐ内側には窪んだ溝状の線が廻っています。このような特徴を持つのは、12世紀後半(平安時代末~鎌倉時代初め頃)のもので、それより新しくなると先端が上下に徐々に広がって、「T」を横に倒したような断面になります。このことから、本遺跡で出土したものは12世紀後半に作られたことが分かります。

 常滑焼・渥美焼の形はインターネットでも写真を見ることができますので、ここではあまり細かいことは触れません。

 ここからは、常滑焼や渥美焼の胴部に付けられた押印(おういん)文についてお話したいと思います。押印文は甕・壺のような大型のものを中心に、胴体部分に付けられるスタンプ状の文様です。初めは木の板に筋状や格子状の模様を彫り、甕や壺を作る時に粘土を叩き締める目的で胴体部分のほぼ全体を連続的に叩いていたようですが、だんだんと花や木の葉、車輪といった意匠を持つ模様で、胴体の1~数か所だけに押し付けるというものも現れるようです。ここに掲載した本遺跡出土のものは、筋状に円弧状のものが合わさった模様が付けられています。押印文の研究者によると、この意匠が使用されるのは12世紀中頃から後半が大半で、13世紀まで残ることはほとんどないと記されており、上に書いた口縁部の時期とほぼ一致しています。

 これらのことから、本遺跡で出土した常滑焼と渥美焼の甕は12世紀後半頃に作られ、伊予の風早郡(北条地区)にやって来たことが分かります。運ばれた経緯や経路まではわかりませんが…

 ちなみに下の写真の左側が常滑焼、右側が渥美焼のものです。写真ではわかりにくいと思いますが、押印文の研究者にうかがうと、まず器壁の厚さで分けることが可能(左側が約6㎜、右側が約11㎜)で、さらに押印文の明瞭さの違いなども考慮することで見分けることができるようです。(S)

常滑焼・渥美焼の押印文

 

常滑焼・渥美焼の押印文拓影

 

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