松山は、慶長七(一六〇二)年加藤嘉明が勝山に築城をはじめ、翌八年伊予郡松前より移ってきて、はじめて「松山」という名称を公にしました。以来、蒲生、松平家の城下町として栄え、今日の松山市の基盤が出来てきました。明治二二年市制及び町村制が施行されるのに伴い、同年一二月一五日、市域五・二平方キロ、人口三万二、九一六人の「松山市」が発足しました。それから百年の歳月を経て、今や市域二八九平方キロ、人口四四万余人を数える、四国最大、西日本有数の中核都市となり、政治・経済・教育・文化・観光の重要拠点として、画期的な発展を遂げるに至ったのであります。
こうした本市の限りない発展は、決して偶然なものではなく、ひとえに古き良き伝統と、創造性に富み活力に満ちた市民一人ひとりの英知の賜ものであり、これら先人のたゆまない努力に対して深い感銘を覚えるものであります。
さらに、人間尊重、生活優先を基本理念とした「緑と文化の映える生涯教育都市」を新しい時代の都市像として考えるとき、「温故知新」という言葉のように、まず郷土の風土と歴史を正しく理解し、人と人とのふれあいを大切にすることが肝要であると思います。
そういったことをふまえて、市制百周年記念事業の一環として、古代から現代に至る松山の歴史のあらましを、一冊にまとめた『松山の歴史』を刊行いたしました。本書は市民の皆様に、気軽に読んでいただけるよう記述されてありますので、ふるさと松山を正しく理解し、郷土愛をはぐくんでいただくよう念願するものであります。
発刊にあたってより |