祝谷六丁場遺跡

えひめけんまつやましいわいだに
愛媛県松山市祝谷

 祝谷六丁場遺跡は、今からおよそ2,200年前(弥生時代中期)の集落遺跡で、丘陵地で生活していた弥生人の使った様々な道具が多数発見されました。最も注目されるのは銅剣の出土です。銅剣は、平形銅剣と呼ばれる武器形の祭器で、瀬戸内地域に特有の青銅器です。銅剣が納まる大きさに掘られた穴に納められていましたが、長い間、土に埋められていたため、劣化して銅剣のおよそ半分は朽ちていました。
※銅剣の出土状況や復元された銅剣のレプリカは、松山市考古館に展示しています。

 次に注目される分銅形土製品は、手のひら大の土版で、祭祀の道具と考えられています。平形銅剣と同様に瀬戸内地域で数多く出土するもので、地域によって形や模様が違います。四角い形、粘土紐での長い眉と鼻・半月の目は愛媛県特有です。祝谷六丁場遺跡からは29点が出土しており、その数は愛媛県で最も多い遺跡です。

 石器の出土量も松山で最も多い遺跡のひとつで、農・工具用の磨製石器や狩猟用の打製石器が盛んに製作されていました。また、石器製作の途中品が数多く出土しており、石器の製作工程や石材の入手過程が明らかになりました。

 祝谷六丁場遺跡の「むら」は、鉄器や石器を使用しての生活を営み、当時の貴重な青銅器製祭器を管理できる力をもつほどの有力な「むら」と推測できます。