分譲宅地建設に伴う事前の発掘調査です。調査地は、松山平野東部を西流する小野川と堀越川によって形成された扇状地上の標高57.9mに立地します。周辺では、北約800mの丘陵部に6世紀後半に築造されたと推定される平井谷1号墳などの古墳群があるほか、北東約2kmの丘陵麓部では7世紀初頭の茨谷1号窯など松山平野南東部に展開する古窯址群が存在しています。平野部では、北約200mの下苅屋遺跡から古市遺跡にかけては、弥生時代前期から古代頃まで機能していた川幅70mを測る大規模な自然流路を検出し、その両岸付近では古墳時代後期を中心とした竪穴建物や掘立柱建物などが確認されています。東や南東に近接する平井遺跡3次・5次~7 次・9 次調査では、弥生時代から中世の遺構や遺物が見つかってい
ます。これらのことから、調査地周辺は自然流路を利用した窯業生産の流通にかかわる集落を考えるうえで重要な地域となっています。
事前に実施した試掘調査の結果、溝1条と柱穴2基を検出し、弥生土器、須恵器、土師器、石庖丁などが出土しました。
これらのことから、弥生時代~古墳時代にかけての遺跡が広がることが想定されます。 |