松山外環状道路関連遺跡の整理でわかったこと

投稿者| hajiki in 報告書作成, 発掘調査・試掘調査, 遺跡紹介 | コメントを残す

 今回は、松山外環状道路の建設に伴う12遺跡の発掘調査のまとめを報告します。
 調査地は、松山市余戸西・東垣生町・南吉田町の3地区に広がる松山平野沿岸部付近の低地にあり、南吉田南代遺跡では、弥生時代前期から中期頃と弥生時代末から古墳時代初頭の二時期を中心に遺跡周辺で人々が営んでいたことが分かりました。漁労具や製塩土器などの海との係りをもつ遺物も見つかっており、浜辺近くに集落があったことが想像できます。余戸中ノ孝遺跡では、古墳時代前期から後期にかけての集落の竪穴建物内から、松山平野南部の窯で作られたと考えられる須恵器が発見されことは、その窯の流通を知ることができます。古代頃の人々の痕跡は見つかりませんでしたが、東垣生八反地遺跡では、平安時代後期頃から鎌倉時代には区画された集落が見つかっており、室町時代になると集落が耕作地へ変化したことがわかりました。発掘調査により平野沿岸部の集落の移り変わりが解明される貴重な遺跡となりました。

松山外環状線(余戸西・東垣生・南吉田地区)の遺跡分布図

別府遺跡4次調査現地説明会を開催しました。

投稿者| sekifu in 現地説明会, 発掘調査・試掘調査 | コメントを残す
別府遺跡4次調査現地説明会の結果報告

 平成30年11月11日(日)に松山市北条河野で行っていた別府遺跡4次調査の成果を発表する「わかりやすい考古学講座」と「現地説明会」を開催しました。
 見学者はそれぞれに42名と137名の参加をいただき、盛況のうちにとり行うことができました。
 今回は現地見学のほか、平成29年11月に開始した別府遺跡2次調査から3・4次調査までの出土遺物や写真パネルなども展示しました。
 さらに、当センターの北条地区での調査が平成26年の正岡小学校構内遺跡以来でしたので、椋の原14~16号墳・河野小学校構内遺跡と合わせて3遺跡の成果も、「周辺の遺跡」として展示しました。
 4次調査で見つかった木樋と石垣については、次回以降に紹介したいと思いますので、乞ご期待…!

松山外環状線道路建設に伴う発掘調査で発見された中世の遺物(外国産)

投稿者| hajiki in 出土物整理, 発掘調査・試掘調査 | コメントを残す

 松山外環状道路建設に伴う遺跡から出土した国内で生産された器をご紹介しましたが、今回は大陸から海を渡ってきた磁器の一部をご紹介します。
 当時の磁器は貴重品で、発掘調査での出土量も国産品の土器や陶器などに比べて、希少であります。今回紹介する青磁の碗は中国の龍泉窯、皿は同安窯で焼かれたものと推定しています。龍泉窯は現在の浙江省、同安窯は福建省にあり、おもに青磁を焼いていた地方窯です。青磁とは、鉄を呈色剤とする釉薬を掛けて焼成した磁器で、窯内部の酸素が不足した状態で焼成することで、釉薬や胎土に含まれる鉄分が酸素を奪われ、青く発色します。成分や焼成環境の違いで、黄色や緑色などに色合いが変化します。
 写真1の碗は薄い青色ですが、写真2の皿は黄色を帯びており、色調や形状、模様などで焼かれた窯の特徴が窺えられます。

 

 

全埋協 中国・四国・九州フロック会議

投稿者| takatsuki in その他 | コメントを残す

 9月27日(木)、28日(金)の二日間に全国埋蔵文化財法人連絡協議会 中国・四国・九州ブロック会議が開催されました。この会議は毎年開催され、埋蔵文化財に係る事務手続きや調査に関連する諸問題について協議しています。今年は(公財)愛媛県埋蔵文化財センターが開催法人となり、松山市の共済会館で中国・四国・九州の10法人によって協議を行いました。まず全体会では、コンピューター等研究委員会より各種データーの保存・管理について報告されたあと、(公財)安芸高田市地域振興事業団より『甲立第2・3号古墳の確認調査』の事例報告がありました。その後、協議は管理者部会と実務担当者部会とに分かれ協議題の聴取や意見交換が行われました。管理者部会では主に今後の発掘事業の見通しや財団の運営などについて話し合いが行われました。実務担当者部会では発掘現場の管理・安全衛生のほか、デジタルカメラで撮影した画像や遺構・遺物の実測図の保管方法などが協議されました。二日目は当財団が実施している三之丸22次調査と松山城を視察しました。今回の会議では中国・四国・九州から集まった各法人と情報を交換することで、今後の埋蔵文化財保護に関して直面する現状と課題が見えるとともに、指定管理者として何ができるのかを考えさせられる会議でもありました。

会場の様子です。

三之丸22次調査 現場視察風景

松山城の視察風景

金属製品の保存処理(鉄)

投稿者| doguu in 発掘調査・試掘調査, 遺跡紹介 | コメントを残す

金属製品の保存処理(鉄)

 左の写真は船ヶ谷遺跡の発掘現場から保存処理室へ持ち込まれた保存処理前の鉄製品です。土や土銹に覆われていてどのような鉄製品かわかりませんでした。この土や土銹を除去、折れているパーツを接合、鉄製品の強化や酸素から遮断するための樹脂含浸を行った状態が右の写真で保存処理後になります。

土や土銹を除去し接合復元を行った結果、不明な鉄製品は馬を操縦する轡(くつわ)であることがわかりました。

経石山古墳4次調査が始まりました。

投稿者| doguu in 発掘調査・試掘調査, 遺跡紹介 | コメントを残す

 桑原町に所在する県指定史跡の「経石山古墳」について、古墳の規模を確認する目的で埋蔵文化財の発掘調査を実施することとなりました。調査場所は、経石山古墳の南側に隣接する経石山公園内となります。調査区については幅1m、長さ7mほどの溝状となります。調査期間は11月26日(月)~12月7日(金)までとなっています。なお、雨天時は現場作業は休みとなります。

 

現地説明会資料のダウンロードサービスを行っております。

投稿者| doutaku in お知らせ | コメントを残す

埋蔵文化財センターには文化財情報館という付属施設があります。

この文化財情報館のページでは、当日の現地説明会に行くことができなかった方のために、現地説明会資料のダウンロードサービスを行っております。

今回、先月までのダウンロード状況をご紹介します。
たくさんの方にダウンロードいただき有り難うございます。今月は、『松山城三之丸跡21次調査』の発掘調査説明会、『別府遺跡4次調査』の発掘調査説明会の資料も追加する予定です。
文化財情報館のページへのアクセスもよろしくお願いします。

現地説明会資料のダウンロード数

現地説明会資料のダウンロード数


現地説明会のお知らせ。

日 時 : 平成30年11月11日(日) 午前11時30分~12時30分 (受付は午前11時~)
場 所 : 松山市河野別府 (下に掲載の案内チラシに地図あります)

※なお、現地説明会会場には見学者の自動車を駐車するスペースがございませんので、公共交通機関をご利用願います。

別府遺跡4次調査の発掘調査説明会のご案内

投稿者| hajiki in お知らせ, 未分類, 現地説明会, 発掘調査・試掘調査 | コメントを残す

 調査は、正尺池の老朽化による改修工事に伴う発掘調査です。
 調査地は、北条平野南部を西流する高山川の周囲に広がる沖積地の標高14~16mに位置します。
 正尺池の調査は、池の堤防内側の裾に沿う範囲の調査で、平成29年度の別府遺跡2次調査と3次調査で堤防の南側と北側、今年度に実施した4次調査で西側と北側を調査しました。なかでも3次調査は、平安時代末から鎌倉時代初め頃の溝や柱穴が見つかっており、地元で焼かれた素焼きの土器や国内の産地で焼かれた陶器、中国から輸入された磁器などが出土しました。
 今回の4次調査では、木製の樋(とい)や石垣などが見つかりました。樋は半分に割った丸太をくり抜いて水を流す構造で、長さ6.5m掘り出しましたが、さらに調査区の外にも延びています。上の層から出土した土器から鎌倉時代から室町時代頃か、それよりやや古い時代と推測しています。また、石垣は、長さ約34mでその両端はさらに延びています。石を4~7段積み上げています。現時点では石垣の用途はわかっていませんが、現在わかっている石の組み方や構造は、室町時代後半ころに盛んに作られたものに類似しています。
 
 調査は終盤になっていますので、この機会に池が造られる前の人々の痕跡を見学していただくために発掘調査説明会を現地で行いますので、ぜひご参加ください。

据えられた状態で見つかった木の樋(とい)

東西方向に直線的に延びる石垣

日 時 : 平成30年11月11日(日) 午前11時30分~12時30分 (受付は午前11時~)
場 所 : 松山市河野別府 (下に掲載の案内チラシに地図あります)

※なお、現地説明会会場には見学者の自動車を駐車するスペースがございませんので、公共交通機関をご利用願います。

松山城三之丸跡21次調査の発掘調査説明会のご案内

投稿者| hajiki in お知らせ, 未分類, 現地説明会, 発掘調査・試掘調査 | コメントを残す

 只今、松山市堀之内で発掘調査を実施しており、今回が21回目の発掘調査となります。
 今回は、江戸時代の土地区画を確認することを目的に、三之丸御殿東辺付近を調査した結果、明治以降に造られた旧日本陸軍の兵舎跡のすぐ下から、石組2条が発見されました。この石組は直線的に角石を並べて屈曲したものと弧を描く様に丸石を並べたものが見つかりましたが、旧日本陸軍の建物を造る時に一部の石は取り除かれた状態でした。この石組は江戸時代の絵図にある三之丸御殿東辺の石で組まれた溝の一部と考えられます。
 発掘調査説明会に参加していただき、江戸時代に造られた遺構や出土した遺物などを見学して、当時の三之丸にタイムスリップしてみてはいかがでしょうか。

調査風景

発見された石組

日 時 : 平成30年10月27日(土)午前11時~12時(受付は午前10時30分~)
場 所 : 松山市堀之内(下に掲載の案内チラシに地図あります)

※なお、現地説明会会場には見学者の自動車を駐車するスペースがございませんので、公共交通機関をご利用願います。

松山外環状線道路建設に伴う発掘調査で発見された中世の遺物(国内産)

投稿者| hajiki in 出土物整理, 発掘調査・試掘調査 | コメントを残す

地元で生産された土釜(左)と土師器の坏(右上2点)や皿(右下2点)

近畿地方で生産された瓦器の椀(左上)、瓦器の皿(左下)、須恵器のこね鉢の破片(右2点)

 松山外環状道路建設に伴う遺跡の発掘調査は、余戸、東垣生町、南吉田町の約1.3kmにかけて実施しました。なかでも余戸と東垣生町では、遺構や遺物が数多く見つかり、平安時代末から室町時代にかけての中世頃の集落跡や水田跡が見つかりました。
 今回は、集落内から出土した中世の遺物(国内産)をご紹介します。
 土師器のわんつきさらなどの食膳具や土釜どがま土鍋どなべなどの調理具などは、殆どが地元産でありましたが、瓦器がき須恵器すえき陶器とうきなどは国内各地で作られたものなどが出土しました。この頃の日本は国内産の物品の流通が盛んで、瀬戸内海は流通の大動脈でありました。瓦器の椀や皿、須恵器のこね鉢などは近畿地方、陶器は東海地方から中国地方で生産され、松山まで運ばれて来たのが出土した遺物の特徴から分かりました。